感動力の欠落した人間に唯一届いた最初で最後の「音楽」の話

※最近少し考えていたことについてドリフェスきっかけで書いた記事。個人的な話。

 

  自分は感情が“薄い”と昔から知っていた。クラスメイトが好きな芸能人や好きなアーティスト、好きなキャラなどについて盛り上がっていても、私はそこまで熱狂する推しも物もなかったから、そういう会話には乗れなかった。さすがに、生活に影響が出そうな時はそれなりに話を合わせられるように心がけたりしていたけれど、彩りがなく漫然とした人生だった。

  感動的なものに対して「どうせ理想論」として見てしまう悪い性格。特に芸術の中で音楽に対しては、正直この世に存在する意味というのが説明されても実感として湧かず、しかも行動力が無くケチときたものだから、「金を出してCDを買う」というのと「ライブに行く」というのが特に理解できない行動だった。

  全般的に感情の起伏が無さすぎて、精神的な引きこもりに近い。頑張ろうとしない、頑張って乗り越えようとするその方法がわからないような感覚で、得意なことは楽しいから伸びるけど、苦手なことは全く克服しない。行動できない。なぜ頑張ろうとしないんだと再三叱責されても、どうしても奮起の仕方がわからなかった。


19歳になろうとしていた夏、それまで何も響かなかった耳に、初めて唯一届いた声があった。瞬間、その気概で初めて「心が動く」という“痛み”を感じさせた。それが「NEWS」の「U R not alone」だったのである。

ああどうか力を貸してくれないか 昨日までの僕よ 共に乗り越えてきたじゃないか
僕は誓うよ 一切引かないし一切負けない
生まれた日から今日までの僕が見てる 明日もそう少しづつ前へnot alone

  しばらく呆然として動けなかった。テレビの画面越しだった*。“NEWS”というのがグループ名だということさえ知らなかった。ただただ、全身の中まで震えてた。きっとこんなことは後にも先にもないとあの時点で確信していたかもしれない。魂に迫ってきた圧倒的な熱量が紛れもなく本物だった。この瞬間、この歌詞に全身全霊をかけている、たぶん人生全体の規模のものをかけて生きようとしている。この熱をみすみす忘れてたまるかと、ノートの端に「生まれた日から今日までの僕が見てる」とメモを残した。

U R not aloneは、私が初めて感じた、生き抜くという人間の意思・生き様そのものだった。

  過去の成功体験が時空を超えて力となる、その経験が必ず方法を見つけ出す。最後に自分を支えるのは自分。だから今日もちゃんと生きる。 このメッセージを熱情をもって確実に響かせてくる。漫然とした人生が、説得力となる歌い手の熱情を目撃したことで全く新たな視点を手に入れ、明確な理由を持って自ら選択するようになった。あの日から人生が鮮やかになった。ああ、これが音楽が世に存在する意味かとようやく初めて理解したのである。

  きっと世間様には永遠に理解されないんだろうが、私は「アイドル」が好きなわけではないし、むしろ昔と変わらず偏見の目も捨て去りきれていない。ただ、その歌唱をもって全身全霊で生きる熱の滾りを間違いなく目撃したあの瞬間をどうしても嘘だとは言えなかっただけだ。エンタメが人を動かす活力となる、それがエンタメの意義で本質なのだというのを初めて実感させられたNEWSの歌唱は、私にとっては「救い」のようなものである。

  そして早6年。何度もNEWSという「アーティスト」に救われ、進路を考え、今も生きている。ひとつ強い指針ができたことで、生きるうえでの考え方、人の心との接し方など、色々なことが“しっかり”した。

 

  ただ最近、これが危険な状態ではないかということを考えるようになった。ジャニーズ事務所の廃業決定に際して飛ばされたネットニュースで『ジャニーズ事務所なき後、ジャニオタが代わりに流れる先は』的なものを目にし(記事に価値は無いが)、もしNEWSが無くなったら自分はどうするのだろうと思った。差し迫った話ではないにしろ、いずれ迎えるであろう彼らの最期を見据え、今自分が充実していると感じることのほぼ全てのきっかけをNEWSに依存しすぎている現状と今後について考えておく必要性を感じた。

  そして、頑張って他のアーティストの曲を聞いて、頑張ってNEWSに並ぶ感動を得よう、その準備をしようとしてみた。

  本当は、自分にはもうこれ以上の出会いはないと分かっている。

  それでも、世界は何が起きるか分からないから、もしなにかの理由で突然NEWSが無くなった時、その時本当に立ち直れなくならないように、
想像できないほどの絶望であっても、何とか和らげられる方法を残せるようにしなければと努力した。

 だがどうしても無理だった。

 

  先日、実は初めてのフェスに行った。そして(これがブログの公開が今になった理由なのだが大変申し訳ないことに)、あろうことかそのドリフェスで、「彼らの代わりはいない」ということを確信してしまったのである。

  NEWSのライブは私にとって「生き様から生きる力をもらう場」であり、おかげでライブというのが他に変え難い瞬間であるというのを知った。フェスに参加している、ということ自体、かつての私では考えられないくらいのことだったけれど、NEWSのおかげで楽しみ方を心得て参加出来たと思う。なかでもSUPER BEAVERさんの言葉はすごいなと思ったし、ミュージシャンとして伝えるべきことや在りたい姿というのが明確なんだろうなと感じた。彼らを生で知ることが出来て良かったと思った。

  それでも、雷に打たれたようなあの衝撃を感じることができなかった。素晴らしかったからこそ、ライブフェスという場に至ってついに、あの「感動」を超えるものは二度と私に現れないのだと確信してしまったのである。

  その場で最後に、

この物語の主人公に告ぐ
悲しみ不安激動も愛も全て包み込めるように 
今日も歌うから

(劇伴/NEWS  歌詞  GReeeeN)

と歌った3人の声を聞き、その表情を見て自然に涙が溢れたとき、染み入るような「救い」を実感した。嘘みたいだけど、「今日もこれからも歌ってくれてありがとう。これで明日からも頑張れるから」という感謝とともに、自分には彼らしかいない、それでいい、と気持ちが固まった。

 

  いつかNEWSがなくなったら、また推しのいない人生になる。
  それでも、かつての人生と全く同じに戻りはしない。NEWSから感じたこと、生きるうえで大切だと痛感したこと、彼らが見せてくれた熱情と景色は記憶として残り続けるから、あの力は間違いなく本物だったという確信を胸に、それに恥じぬよう、残りの人生もちゃんと生きてゆく。


期せずして11月4日の深夜、帰路の電車の中で、最後のその先への覚悟が決まってしまったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*2017年7月15日放送 TBS「音楽の日

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