※今回は短いです。
以前のブログで、「エンドレス・サマー(2010)」に対して「カノン(2022)」がアンサーソングのようだということを書いた。
あの夏の約束を、僕らはまだ守れているみたいだ カノン/エンドレス・サマー - 海に投げ込んだボトルメールのように (hateblo.jp)
やはり、セトリの曲順(Endless Summer→カノン)然り、背景映像然り、カノンは特別な曲だった。
今回のエンドレス・サマーの立ち位置は、15周年ライブのヒカリノシズクを彷彿とさせる位置で、確かあの時のエンサマは横並びに座って歌っていて、その堤防のような座り方が今回はカノンに取り入れられているのが結構グッときた。
「あんな夢もあったね」と
どんな言葉でも足りないほど
眩しく見える日々 夏の残像
もの悲しさのあるカノンの歌詞とともに始まる映像は、エンドレス・サマーの加藤さんのパート『あてのない街 ビルの隙間 遠い空を見上げるたび 想い出す夏 ホタルの光 終わらないイノセンス』を彷彿とさせる、ビルのある夏の街並みが映っていた。
夏が過ぎて 夢は覚めて
思い通りじゃなくても
遠回りして
口笛吹いて
僕らはまだ歩いて行ける
そして、あの花火の映像。フィルムの質感で、3人だけの童心の夏の画が、かけがえのないひとときが記録されている(企画にせよ)のを見て、強く思ったのだ。
10年後、20年後、30年後に、“あの夏”を見返して、「やっぱ、一緒に生きてきて良かった」って、相変わらず3人で笑いあっていなきゃいけない。このかけがえのないものは、絶対に奪われちゃいけない。
あこがれだけじゃ
叶わないって
最初からわかっていたって
その気にさせるくらいの夢が
僕らの心にはまだある
きっとある
NEWSを生き抜いて、必ず最後まで幸せに生きて、「NEWSとして、このメンバーと生きられて良かった。やっぱ最高だった」って思える人生にして欲しい。「来世でも絶対NEWSで会おうな」って思えるくらい、あなたたちが絶対に幸せにならなくちゃいけない。
「音楽」はなにか今までにない清々しさがあったように感じた。これが今のNEWSなのだな。四部作はリアルでフィクションに没入できるアイドルという存在の意義を追究した究極形だとするなら、「音楽」はまさに彼らが共にこう生きているというそのものの姿のようだ。
「ライブって生きるって意味もあるんだなぁって思った。よく出来てるよ。「生(LIVE)」と「生きる」がさ、同じ漢字なんだからさ。そんなこと思いますよ。生きてんなって。生きてるよ。」(加藤シゲアキ NEWS LIVE TOUR 2022 音楽)
ステージでこそ最も生きていることを感じられるのだと言うのなら、かけがえのない同士と共に彼ら自身がステージで生きているのだと言うのなら、こんなに素晴らしい場所はない。あんなに素晴らしいものつくるんだから、只者じゃないんだから、彼ら自身がいちばん幸せにならなきゃいけないよ。ほんとにそう思う。
NEWSがNEWSであり続けてくれてよかった。
NEWSにいるとき、僕けっこう笑ってるんですよね。しかもすっごいくだらないことで笑ってたりするんですよ。中学生みたいに。そんな場所ってもう他にないから、なんか笑ってやってられたら良いなって思う。何かしたいあれしたいこれしたいっていうよりは、なんかいつまでもNEWSで笑っていられたら幸せだなって
(加藤シゲアキ NEWS 15th Anniversary LIVE 2018 Strawberry 初回盤映像特典『ぼくたちの、原点』)