穏やかな春の訪れを感じるこの良き日に、推しが結婚しました。

今は、驚くほど穏やかで、晴れやかな気分でいます。
実際にその日が訪れてみれば、目の前が真っ暗になることも真っ白になることも微塵もなく、いつもと変わらぬ表情を向けることができている。

凪いだ海のように穏やかに、ただ少しだけ心拍数が上がって、周囲の音が小さくなりました。

「ああ、そうか。」という言葉と目の前の穏やかな空、そして目の前には無いはずの広い海の景色が、静かになった私の中に佇んでいるような感じでした。

まじで死ぬ前ってこんな感じなのかな(笑) アニメで見る、メインキャラが死ぬ瞬間の演出ってこんな感じのありますよね。(おそらく進撃の巨人を見まくってた影響ですね)

 

そしてなぜか、明日からの私もこれまでと何も変わらず生きていくのだということを悟ったような気分になりました。
こんなに穏やかだと思わなかった。
思っていたよりは早かったですが、恐れていた邪念を生ませず、麗らかな天気も相まって穏やかにこの日を迎えられたのは、最初にそれを知った報告の文章が、穏やかで真摯で、美しさを感じるものだったからに他なりません。魂の美しさを映したような文章を書く人だと思ってはいましたが、各方面への配慮も含めてまさに「加藤シゲアキ」が全面に出たクリーンな文章。そして、今後も全くNEWSから目を逸らさない姿勢を読み取ることができて、これ以上を望むことはありません。
よくぞここまで守り抜いてくださいました。
そして全部背負う覚悟をしながら、よくぞ、自分の幸せのための選択をしてくださいました。

 

今は、そんな気分です。

そういえば、未婚の間に、最後に「人情心中」してくれて、ありがとう。

 

実は、この時のために、事前に準備していたブログがあったのですが、書ききる前にこの日が来てしまいました。

せっかくだから最後に載せて成仏させときます😂。

 

 

拝啓   いつか来る日の私へ。

 

このブログが日の目を見たということは、あなたの人生を変えた人が結婚したのでしょう。

なんてね(笑

 

本当にその時が来たら、どんなに自らを律し、理屈で平静を保とうとしても、きっとどうにもならないのだろうと、もうさすがに気づいています。私の人生を本当に変えたほどの人達なのだから、動揺するのは当然のこと。それでも辛い感情でいっぱいになって、もしかしたら自己嫌悪に陥って、何もできなくなってしまうだろうから、今考えていることだけでも今のうちに書いておこうと思います。

私のスタンスに恋愛感情はありません。ライブでのファンサもそこまで求めてはいない。私が求めているのは明確に、疑似恋愛ではない。

私が惚れ込んだのは、目の前で必死に燃えている魂の生き様だけでした。大気圏に突入した星の最期のように、まさに燃え尽きようとするような比類なき命の輝き。私の見たあの姿は、信じてみようと思わせた根拠そのものだった。だから、彼らの中にある「終わりなき青春」、刹那的なあの輝きが好きだから、結婚の事実によってそれが終わることを私は恐れている。

けれど間違いないのは、あれほど人に熱を伝えることだけに全身全霊をかけ、その一点のために燃え尽かんとする、危うささえ感じる姿だけが、私の全てをその瞬間に、その声に集中させ、何にも動かなかった心をどうしようもなく震えさせたということなのです。
だからどんなに辛くなっても、この純然たる感動を、それを与えてくれた人たちを忘れてはならない。
目の前に悲しみが広がっても、それを相手に責任転嫁するような推し活だけはするまい、私の人生の責任は私にあることを肝に銘じて、全て私自身が後悔しない選択をするのだと気をつけてきたはずです。だからその日を迎えた時こそ、見誤らないように、大好きな瞬間を胸に、変化を受け入れ、せめて前を見るしかないと思っています。

 

そうだよね、そうしよう。

でも、やっぱりちょっとだけ思わせて欲しい。

 

こんなに早く訪れるとは、思ってなかったよ。