絶望と救いの間で

そういうことじゃないのは重々承知している。だから、今だけ許して欲しい。これは完全に個人の感情の話です。

「 なれのはて」がこのまま「力及ばず」と世間で評価されて終わるのが悔しすぎる。

否定されたわけじゃない。素晴らしさは変わらない。他の賞もある。

それでも「世間」は「世間」で終わる。“直木賞が”欲しかった。

今、エンタメが激動した今、戦争のように理不尽な“それら”に対抗出来る力として、この作品で覆して欲しかった。受賞をもって世間に問いたかった。

 

生き様すべてを投じているのが痛々しいほど伝わる渾身の作品だった。凄まじい気概でエンタメの意義を提示しているこの「なれのはて」こそ今獲って欲しかった。これで何も知らない人に「たいしたことない」と舐められるのが一番悔しい。わかってる。悔しいのは本人だし、「少し登場人物が多く詰め込みすぎだったのではないか”という意見」も素直に納得できる。

それでも、「なれのはて」は、耐えきれなかったかもしれない数ヶ月をどうにか乗り越えさせてくれた“救い”だった。

 

2023年10月の、個人的な話をさせて欲しい。

 

  このとき、私の中に矜恃をギリギリで繋いでいたのは「 なれのはて」だった。あの中年男は私にオタクかどうかを強制的に言わせたうえで『面白いね、落ちぶれる様子をニヤつきながら見ているよ』と直接言ってきたけれど、私は次の日からも変わらず笑顔で挨拶した。私は「なれのはて」を読んだから、こんなこと言う奴と戦争はしない。気に入らないものがリンチまがいのことを受けている様子を、嘲笑しているよと、わざわざ言ってくるような奴のために、同じところには堕ちない。

そう思って耐えられた。これを耐えさせてくれるほどの本だった。

 

 

試金石のような目的をもって出されたわけではないことを重々承知のうえで、それでも今、分断と軋轢の謂れ無き犠牲について書いた「なれのはて」を出したという加藤さんに、小説という“やりかた”があったというのは救いだった。

生きる熱、時空を超えてでも誰かの生きる力となる生きた証。その凄まじい人の熱を、渾身の力を、存分に書ききったすごい作品だった。

そしてもう一点。こんな歪んだ世界で、なんとも真っ当な小説だったのだ。圧倒的で真っ当だった。こんなに、あらゆる点においてノイズのない小説があるのかと、読後にその筆致に気付いて感嘆した。

 

 

 

 

私はこの数カ月、「なれのはて」を、私が毅然と生きる意味にした。

 

直木賞はそれが全ての優劣じゃない。時の運もある。(文芸界の因習も薄々ある。)わかってる。これはただの一読者の気持ちの話だ。わかってるけど、

 

 

あの熱量、あの研ぎ澄まされた描写、あの内容、渾身の作品。そりゃ申し分なく獲れると思うじゃん。獲るべきだって思うじゃん……。

何よりあれほどの全身全霊の作品に、最もわかりやすい評価を今獲らせてあげたかった。箔をつけたいというわけではない。「正義とはなにか」「人間とはなにか」「時代とは何か」この全身全霊で研ぎ澄まされた、二極化できない世界への問いを「世間様」にぶつけたい。知って欲しい。この作品が今現状に1番刺さる問いを提示していること、後世に繋げるべきヒントを示唆していることをとにかく読んで欲しい。

読んでもらって、本音の良心で議論したい。そして、一筋の希望を掴みたい。

 

 

どこもかしこも事務所の話ばかりで、取り上げておいて本の本質の話なんてひとつもしなかった全報道局(東海テレビを除く)に今一度、この本に描かれたジャーナリズムとそしてエンタメの力を特集させ、脊髄反射でスマイルアップを叩く世間にまでも、できる限りこの真剣さと「真っ当な感覚」を広く知って欲しかった。

本来こんなに攻撃的な感情になるべきではないと頭ではわかっている。でもね、つまるところ、こっちだって相当頑張って耐えてきたんだ。ただ大好きな曲を聴いて、人生を変えてくれた人達が自由に歌い、渾身の力で歌う姿を見て勇気を貰って、1歩1歩をやってきた。他と何が違う。それを何も知らない人達に卑下され、価値観まで否定される。そんな理不尽を相手に心が折れるなんて癪だから、表面だけでも平静を保ったけれど、内側は相当やられていた。

私がこうなのだから、当事者の加藤さんはどれほど辛かろうと思った。いよいよこの世の中に心底絶望したのではないかとまで思った。

「なれのはて」が刊行されたとき、描写と構成と、時代を現代の価値観で描く筆致と熱量を見て、これが評価される世界ならまだ捨てたもんじゃないかもしれないと思った。そのくらい、この作品がどう読まれるかで全て決まると思った。

きっとこの作品は、こんな世の中を少しでも良い方に変える。きっと受賞すると勝手に信じていた。ノミネート時点で「なれのはて」は評価されているし、その本の意義と本質を様々ながらも正確に読み取っている読者がたくさんいることも確かめられた。この世の中は、まだ生きる価値があると思えた。その点ですごく感謝している。この数カ月、世界をそう思える最後の道筋だった。だから、まだ生きる価値のある世界ならば、きっと結実するはずだと強く信じてしまった。この作品が受賞すれば、もっと希望が持てる。それを希望にするしかなかった。

当然、ここで終わる加藤シゲアキではないだろう。次の作品もきっとすごい。

でも「今」は今しかない。「なれのはて」は間違いなくすごい作品だ。私にとっても変わらず救いであり続ける。でも今の「なれのはて」は今しかなかった。だから悔しい。

何より、加藤さんに絶望して欲しくない。

 

 

人が人生を投じた作品は、必ず伝わる。これが広く伝わったならば人を動かし、時代を動かせるかもしれない。

どうか、どうか報われて欲しいと思った。

直木賞の歴史の2024年の欄に、この本を刻みたかった。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

こちらのレビューが素晴らしすぎるので是非ご覧ください。

www.webdoku.jp