あきない世傳 金と銀 7・最終話 惣次感想~悲しき自負と孤独~

おいNHKよ…なんて残酷な配役をするのだ(とてもいい意味で)。
この、愛を求めた孤独な男を加藤シゲアキにやらせるとは残酷な。あまりに痛みが艶やかになってしまうではないか。

原作を読み進めていると、惣次役への加藤シゲアキさんの起用に、より得心がいく。

惣次のポイントは主に才覚・気迫・孤独だと思っていて、ずば抜けた迫力だからこそ孤独も痛く強調される。
これを全て表現するのに、加藤さんの雰囲気が成すその目と声の表現が、痛々しさを感じさせる程に見事に効いている。

 

※ドラマネタバレあり

※原作少々ネタバレあり

※全て個人の主観

6話、仲睦まじく揃って顔のいい夫婦のシーンも束の間、最後に影がさした。想像より遥かに幸の勘が鋭いことを悟った惣次が、彼女の商いへの関与を拒み始める。
このシーン、加藤シゲアキ芝居の醍醐味「目の光のコントロール」が最大限に仕事してるので注目して欲しい。

ここ最近はずっと弾むような声が多かった惣次の声が、一気に冷たさを帯びた。嫉むでも怒るでもなかった。ただ、幸のおかげで開いていた扉が一瞬にして閉じた。しかも元の怒りっぽい彼に戻ったのではない。例えるなら、幸の手に重ねられていた手が、まだその温度を僅かに残したまま、しかし既にもう抜け殻しかそこにはない、みたいなイメージだった。

ずっといっしょに生きては行けなかっただろうか、とも思うが、惣次が唯一惚れ抜き、唯一手に入れたいと思った以上、逆にそれは難しかったのではないかと思うようになった。きっとあれほど惚れたのは、惣次ほどの才覚者ゆえに見えた幸の能力とともに、その純粋なあり方に理想を感じ取ったからではないだろうかと。それはいつか孤独な嫉妬になる。

 

7話、下請けの開拓が上手くいかない惣次に、江州の糸から生地を作ってもらうのはどうかと「柔軟な発想」「発想の転換」を見せた幸に、すこし不自然な笑顔を向けた惣次が辛かった。

「幸、ようそこに気ぃついたな😊。わての女房は只者やないわ」(貼り付けた柔らかな笑顔)
「(*ノωノ)そないなこと♡」

褒められて嬉しそうな幸が糸を仕舞いに行くのを、作った笑顔のまま悲しそうな目で追っている惣次を、画角固定のまま写すカメラが憎い(褒めてる)。どこか悲壮な空気感が良かった。横顔をわりと引きで撮っているんだけど、部屋の仄暗い明かりしか光源がないゆえに、目鼻立ちがくっきりしてる加藤さんの表情を影で読み取る形になり、薄らとした不安と切なさが際立っている。自分の脅威になりうると予感し、悲しそうな顔をしている。

ドラマの幸が閃きを提案する様子は原作とほぼ同じなのだけれど、その様子からは原作以上にちゃんと夫として好きになってる感じがあるから辛い。賢い妻は夫を心配し、連れ添うような柔らかさがあった。

だから、ずっと孤独だった惣次にとってはじめて味方と思える人が出来たのは本当で、できるだけのことは叶えてあげたいと思ったのも事実だろう。ただし、自分の庇護の下の女としてだ。彼はかつて、間違いなく幸の才能を見抜き、女でも学ぶことを許した。それは才能を見たのはもちろんだが、純粋に「好きだ。楽しい」という美しい気持ちで学ぶ彼女の姿が、彼には理想だったからではないか。だからこそ、めきめきと力を伸ばす才能に嫉妬し、焦った。

幸が江州の生糸を触るのを拒びながら、幸の傍に座って「前に言うたとおり、あと2年で江戸に店 出しまっせ」と初夜に伝えた決意の実現を口にする惣次の、強い眼差しは濡れてるのが憎い…。ドラマ版惣次の難儀なのはね、かの『なれのはて』を書いた作家の魂の誠実さが滲んでしまうことなのですよ。背筋を伸ばせば誠実そうに、目を伏せれば孤高で切なげな感じが出てしまう。

しかしこれが、加藤さんが演じる惣次の最大の良さだと思っている。

 

「商いのことは、もう何も心配いらん。わてがみんな安生やるさかい、あんたはわての影に隠れてたらええ。あんたには早う、わての子を産んで欲しいんや」

結局は、自分がこれからも「女だから」を理由に囲う手に出ることで、己の安心を担保することしかできなかった男だ。だか原作以上に、幸が腕を上げて同等に迫るほどに、幸と自分の違いがクッキリと見えてしまうからではないか、というのを感じたドラマだった。純度100%の自分の「好き!」でやっている幸と、いつからか立場、自負、責任そして誇示を動機としている惣次。美しすぎる幸に対比して見たくない自分が見える気がしてくる。嫉妬と恐怖。

だから、自分の庇護の下の存在に堕としたくなったのではないか。優しく言い聞かせるように、優しく抱き締めながら言う背中に感じたのは、男のプライドと、欲と、そして孤独が重なったものだったように思う。

それでも認めることが出来ればまた違ったのだろうが、なかなかそんなに強くはない。ドラマ版の惣次は虚栄心と不器用さ、基本的に人を信じてない、それゆえの孤独というのが前面に出ている。

実は原作読んで感じたのだけれど、映像化にあたってこの惣次という役、他のキャラと比較しても特に良く抽出されているようだ。大幅なカットの中でも惣次の人柄を示すシーンはその真意もなるべく正確にバランスよく作られていた。

 

そしてこの人を描くにあたって、原作者の肉欲的な部分を最低限に落としながらしっとりと仕上げ、優しくもどこか寂しさの諦観を目で表現する加藤シゲアキを起用したことが秀逸。「契り橋」まで読むと分かるのは、このキャラクターの真意はやはり『孤独』なのである。それが原作より早い段階で伝わってきている。

 

最終話。両替商の山崎屋が潰れた。代替わりしてから先行きが思わしくないと見抜いていた惣次は、やはり合理的ではあった。「同じ前貸でも、産地を助けることになるか、金で縛ることになるかで全然違う」長年見てきた治兵衛が「惣ぼんのこっちゃ。そう(金で縛ることに)はせえへん算段、つけてるやろ」と言っていたのに、店主は新規開拓した絹の産地、波村への前貸を全部山崎屋の手形にしていた。

「あの子は人の心をわかってない。いつか足元を掬われる」と富久は言っていたが

本当にそうだろうか。そんなことでずっと店を支えてこれたとは思えない。ここまで店を支えてきた彼は、少なからず商いに「人」が関わっていることはわかっていなかっただろうか。原作で、「通年的に売るためには、日常で使えて心を少し豊かにするものを考えたらいい」といったのも、単なる統計学だっただろうか。むしろ、人の心に触れ、愛し愛されたかったのではないか。

“これが最適解だ。どうせ俺は嫌われてる。結果を出してナンボだ。” そう自らに言い聞かせてはいなかっただろうか。合理的に頭が回ってしまうからこそ、ダークヒーローになろうとしてないか?改革続きで、悪役に慣れすぎていないか?山崎屋倒産の知らせを聞いた時、どこか強がるような顔をしていたよ(涙)

 

富久は、彼の難が分かっているなら、本気で怒りつけてやることはしただろうか。彼だけのために、本気で向き合ってくれたことはあっただろうか。

 

「かわいがられる同期もいてうらやましかった。俺は先輩のこと好きだし、尊敬してたけど、態度ではあらわせなかった。かわいがってほしかったし、さびしかった」

 

Jr時代をそう語った加藤シゲアキが演じている。🤦‍♀️

 

yaya7.blog.jp

「自分にできるのは、みんなが大変だと思うことを率先してやることだと思って、ある番組の出演者に挙手をした。マネージャーに”お前はいいよ"って笑われた。冗談とわかっていても、心はズッタズタでした。人が嫌がることですら必要とされてない。もう選ばれた自覚も責任もなくて、”俺、いらなくないか?"って───(後述)

 

 

焦りだろうなぁ。焦ったんだと思う。

江戸に行くためにも、他に産地をとられる前に独占しなければ。そして、幸が超えてくる前に、自分がやらなければ。

そのあまり、「店主の器」として致命的な欠落が最も顕著に現れる形となってしまった。一石で最高の利をあげる計算能力だけが惣次を裏切らない正義であり、惣次を支える力であり、その有効性でしか彼の存在意義を周囲に認めさせることができなかったのだろう。

長男に目をかけ、末っ子をかわいがる。次男の惣次には若い時から都合よく営業を任せっきりで、人の心・家族というものを考えさせる時間すら与えなかったではないか。

唯一能力があるからと目をかけられなかった次男は、夢中で結果を出してその存在意義を認めさせることで自分で居場所を作るしかなかった。虚栄心が彼を守り、利益を上げることだけが正義になってしまった(T^T)

 

そんな家でも、その暖簾で江戸を目指した店主は惣次だけなんだ。

 

最終話。

波村の人々に「店主の器じゃない」と指摘された時の表情がものすごくうまかった。さすが目で語る役者だ。怒りや悔しさや後悔では無い。彼の中のものが大きく形を変え、すべてが終わり、そしてどこかで諦観したような表情。きっと景色が歪んでいただろう。

惣次は出奔した。

共に生きる不幸か、離れて生きる不幸か、どちらかの不幸を選ぶ瞬間がある。

身を割くような孤独の涙を映す加藤さんの目と表情が、その痛みを艶やかに彩ってしまう。

 

隠居の手続き、離縁の手続きがつつがなく進むよう、たった一日で全ての段取りを整えて彼は消えた。頭の回転、判断力、行動力はやっぱりずば抜けてた。

かつて、自分の目標と幸との未来のためのビジョンを語り、正真正銘の御寮さんにしてみせる、彼女の生きがいにしてみせると求婚した強い覚悟と貫禄は本物だったと思う。この姿に美しすぎるほどの自分の理想があったのだと思う。そして、1人ではなく一緒に商いをする誰かを求めていたのではないか。

弟のもとを訪れた彼は泣いたのだ。「兄弟3人おったかて、上は道楽もんで下はあかんたれや。わてがどない思いで、店守ってきたか、お前には分からんやろ!わてが…わてがおらんくなったら、五鈴屋はどうなる…」

このシーンを見て思った。ああ。誰よりも3人で手を取り合ってやっていきたかったのは惣次だったんじゃないか?

だが遅かった。惣次はひとりで背負って孤高に生きることに慣れすぎていた。

 

波村の長は言った。

「こんな貧しい村に何度も何度も足を運び、羽二重を織るよう進めてくれたのは、あの人や。」



信用してたさけぇ、欺かれたことが、余計悔しゅうてな  と。

 

熱意があったことも伝わっていたよ…😭

 

惣次のその後が描かれた「契り橋」も読んだ。はっきりと、彼は家族の愛を知らなかったということが書いてあった。

それでも店の主としての立場と、ずっと張り詰めていた責任感と自負が虚栄心という鎧となって惣次をそこに居させ、惣次を歪めたのだろう。その全てが「店主の器ではない」で、崩れ去った。

それならむしろ、彼のために良かったのかもしれない。

どうだろう、惣次は心から五鈴屋が好きだったかな。少しは好きだったとしたら嬉しいな。

 

自分にできるのは、みんなが大変だと思うことを率先してやることだと思って、ある番組の出演者に挙手をした。マネージャーに”お前はいいよ"って笑われた。冗談とわかっていても、心はズッタズタでした。人が嫌がることですら必要とされてない。もう選ばれた自覚も責任もなくて、”俺、いらなくないか?"ってことばっかり考えちゃってた」「(そういう悩みは)誰にも相談できなかった。俺自身の問題だから。ついに自分を守ってた虚勢が全部はがれたなって思ってた」
ーどうやって立ち上がった?
「ファンレターを読んだ。こんなに気持ちを込めた手紙を、俺は書いたことなんてない。今まで俺を応援してくれた人は、ほかのメンバーよりは少ないかもしれない、でもゼロじゃない。少なくともゼロになるまではやろうって。誰に、何を思われても”この人たちのためにやるんでよくねーか?"って思えて、前に進めた」「最後に自分の気持ちにも耳を傾けた。”俺はここにいたいんだ”、”好きだからここに立ってるんだ"って気付きました。誰の意思でもない、自分自身がやりたいからやってるんだ」
「”俺なんてだめだ”、”どうせだめだ”って思ってた。でも、まずは自分を好きになろう、自分で自分を殺さないようにしようって」「事務所に『何かやらせてください』って頼んでから何度も話し合った結果、チャンスをもらえたから、小説を書くことにした。締め切りを設定されたのは6週間後。いまは大変でも、これは自分のため、そしてグループのためになるはずと信じて書き続けた。」「事務所にNEWSの在り方を相談したときに、たとえばソロでCDを出すよりは、小説を書けるやつがいるっていうほうがNEWSのためになるんじゃないかなって言った。」

(加藤シゲアキ)

 

何かが少し違ったら、加藤さんは惣次のように生きたかもしれないし、惣次は加藤さんのように生きたかもしれない。

幸が店主の器だとはっきり言われた以上、自分は不要だ、不要どころかもう足枷だ、と合理的に判断し、すぐに動けてしまうくらい惣次は商いの男であり、孤独すぎた。

本当は五鈴屋の家族にもっと愛されて欲しかったし、五鈴屋でチームになって欲しかった。でも最終話の幸たちの反応を見ると……きっと仕方ない。

疲れただろう。1度落ち着いて、あなたを引き裂くように存在するいくつものあなたを、ひとつずつ救っていこう。惣次が惣次のために生きられる人生を、最初から考えていって欲しい。

 

 

 

…と思わせる、加藤さんの目!その雰囲気で原作の中核にほぼ忠実な人物像を伝える加藤シゲアキさんの目!素晴らしかったよ👏👏👏(という話です)

 

8話、13話、番外編の契り橋、オススメです。