【文字起こし】悪意を持って、かつ読解力のない人が僕の本を邪な視点で見た時に議論を呼びかねない。その作家の覚悟をこの3年の間に何度も自問自答した。

23.9.17SORASHIGE BOOKより

新刊小説『なれのはて』について、

✉「ウクライナ侵攻」などは執筆に影響しましたか?(概略)

 

(∵)ないと言っていい。それだけでは無い。

書いてる途中に『嘘だろ』ってことがたくさんあって『いやこの小説書いちゃダメかも』みたいなことが結構あったんですけど、いや、それで書かないとか書くものを変えるとかはちょっと自分の覚悟が足りなすぎると思って、本当にウクライナ侵攻だけじゃなくて、これは読み方……嫌に読まれると、結構なんか、誤解を恐れず言うならば、悪意を持って、かつ読解力のない人が僕の本を邪推…色々な邪な視点で見た時に、きっと厳しいこととか、議論みたいなことは呼びかねないなとは思った。そういうものを減らそうかなとも思ったんだけど、いやいやそれはちょっと自分の弱気が過ぎませんかと、小説を書くって言う時にそういう覚悟が無いで俺は書いてるのかって自問自答をこの3年の間に何度もして、なんならこの1年も半年も何度もして正直ビビったね。これ出していいのかっていうビビってる部分はまだある。それは主人公のね、テレビ局っていう人間であったりとかメディアであったりとか報道の話でもあったりするんでね、まあジャーナリズムっていうか、そういう部分とかも少なからず触れていくので、これはマジで刺されんじゃねえかなっていうビビりもあるけど、やっぱそのくらいじゃないとダメだよなって。覚悟が無いで小説書いてるのか俺はみたいな。だからウクライナ侵攻とかも、あーやっぱそうかみたいな、こういうことが現実になるのかとか思うけど、それによって読んでる人が気持ち的にまっすぐ読めなかったり違う感覚で読んでしまうってことはあるけどでもそれはねやっぱり、そもそもそれを作家がコントロールしようなんていうのは傲慢だと思っており、やっぱり僕らは作家はまっすぐ作品に向き合っていくしかないんだよね。読者をコントロールすることは不可能だと思うんだよね。毎日ちょっとずつ読む人もいれば一気に読む人もいるだろうし、そういう中で読者個人の体験があったりする中で、だから小説って読んでる時に読んでる人が自分のものになるんだと思ってて、うん、すごく読書っていうのは私的な体験になっていくじゃない。だから読書って貴重な体験だと思うんだよな。何が言いたいかっていうと僕はほんとにあの、影響を受けかねないことは沢山あったけど、それでも自分は書いたし、何度も読み直す時にすごく自己批判的に読むわけよ。『おい加藤、本当にお前の態度はこれで大丈夫か』って、厳しい視点で自分の小説を何度も読み返したけど、結果、直さなかったね。そういう色んな部分。ビビらなかったね、俺は。もうこれでなんか言われても、俺は受け止める覚悟です、みたいな。もう相当覚悟して作品に向き合う、それだけの作品になったと思うしね。それは読んでもらった方に伝わるとおもう。

 

 

 

 

 

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